WPIで生まれた研究READING

多孔性材料に『夢と希望』を詰め、放出する―新生iCeMSの融合研究―(上)

 2010年12月のある日、古川修平さんは京都大学高等研究院 物質-細胞統合システム拠点(WPI-iCeMS)の会議で参加者に呼びかけた。

「僕が多孔性材料に詰めたいのは、夢と希望です。あなたの夢と希望を教えてください」

 古川さんが准教授としてiCeMSのメンバーになったのはその前月。それ以前は京都大学大学院工学研究科教授で現iCeMS拠点長の北川進さんのERATOプロジェクトに所属し、多孔性材料の研究に取り組んでいた。

古川修平さん

 北川さんが1997年に世界ではじめて開発した多孔性材料は、その名の通り無数の孔と骨格を持つ。金属イオンと有機分子から作られるが、その組みあわせ方次第で、孔の大きさ、強靱さ、化学的性質などを自在に変えられるところが最大の特徴だ。水素やアセチレンのような爆発性の高いガスの安全な貯蔵、化学反応の触媒、あるいは性質の似たガスの分離など、様々な用途での応用が期待され、近年では年間2000本もの関連論文が発表されている。孔のサイズはナノレベルと微小だが、大きな可能性、まさに「夢と希望」を秘めているのだ。

多孔性材料の模式図:多孔性材料の材料となる金属イオンは種類によって接続できる数と方向が異なる。2方向、4方向のものなどさまざま。これらの金属が有機配位子の両端に結合し、さまざまな構造をつくることができる。

 iCeMSは2017年にWPI補助金期間が終了し、WPIアカデミーに移行した。WPIアカデミーの多くは、WPI時代と同程度の豊富な資金支援を得るのは難しく、研究の質の維持や発展に苦労している。そんな中、iCeMSでは新たな研究スタイルが生まれつつあるという。その具体例として今回は、iCeMS教授(PI)の古川さんの試みを取りあげる。

 多孔性材料と生物の基本単位である細胞を組みあわせた研究をすること——。それが、北川さんがiCeMSに移る古川さんに与えた指令だった。それからまもなくiCeMSで古川さんはWPI拠点作業部会によるサイトビジット(事業を統括するチームが管轄の研究所を訪問し、研究をはじめとする拠点形成の進捗状況を確認する機会)までに何かしらの成果を出すことを求められた。融合研究はWPIのミッションの一つ。特に材料科学と生物学を融合させ、新たな領域を生み出すことは、2007年に発足したiCeMSの目標でもある。サイトビジットは翌年7月に予定され、使える時間はわずか半年しかなかったが、せっかくiCeMSに入ったからには自分も融合領域を開拓したい、息の長い研究になりそうなテーマを見つけたいと古川さんは意気込んだ。

 ところが、高校時代の理科で生物学を履修しなかったせいなのか、まず生物学の言葉が分からない。特に困ったのは分子という言葉の使い方。「僕ら化学者にとってタンパク質は高分子ですが、生物学者は単に分子と呼ぶんです。同じ分子という言葉でも分野が違えば指す対象が変わる。最初はそれがわからずに戸惑いましたね」

 iCeMSでは当時、研究テーマを提案し、意見交換する場として「物質-細胞科学の統合研究を進める会議」と呼ばれる会議が毎月1回開催されていた。ここで高評価を得られれば、予算を得て研究を実施することができた。

 しかし古川さんが2010年10月にはじめて参加し、発表した研究テーマは「そんなんじゃ面白くない」という厳しい反応を受けた。不評を跳ね返すべく、2回目の挑戦で出したのが、冒頭の「あなたの夢と希望を教えてください」だった。自分は箱を作る、その箱に何を入れるかは皆さんが考えてくださいと下駄を預けたわけだ。

 この呼びかけに応えた一人が、古川さんより5カ月前にiCeMSに助教として加わっていた亀井謙一郎さんだった。亀井さんはNO(一酸化窒素)を詰めたらどうかと提案した。

亀井謙一郎さん

「iCeMSに入る前まで6年過ごしたカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に、NOが生体内で血管を弛緩させるなど情報を伝達する物質として働いていることを発見して、1998年にノーベル生理学・医学賞を受賞したルイ・イグナロ教授がいらっしゃいました。そんな縁もあり、NOに興味を持っていたんです。もし生体内でNOを制御できる実験系を作れれば、まだ知られていないNOの生理機能がわかるかもしれないと漠然と考えていたときに、古川さんの話を聞いたんです。NOは多すぎると毒として生体にダメージを与えますし、少なすぎても情報伝達の機能を果たせません。多孔性材料ならその辺りの細かな制御ができるんじゃないかと考えました」

 実は古川さんと亀井さんは上記の会議以前から「何か一緒に研究ができたらいい」と話し合う仲だった。同年9月30日から10月1日に淡路島で行われた1泊2日のリトリート合宿で知り合い、意気投合したのだ。iCeMSの若手研究者が普段とは異なるくつろいだ環境で各自の研究を紹介し、議論をするための場である。

「生物学の知識が元々なかったのでiCeMSに入った時に、道連れを作ろうと決めていました。リトリート合宿で、ポスター発表を見て回り、積極的に研究者に話しかけた中で一番気が合ったのが亀井さんでした」(古川さん)

2010年10月1日に淡路島で行われたリトリートの様子。亀井さん(左から3番目)がポスター発表している。左から2番目が古川さん。

 モノ作りの好きな亀井さんは元々は東京工業大学とその大学院でバイオエンジニアリングを学び、工学的なアプローチで細胞生物学の研究に取り組んでいたが、UCLAでは一転、工学から距離を置き、医学薬理学専攻研究員として遺伝子組み換えマウスの作製など生物学の基礎的な研究に集中した。しかし渡米2年目、人工的に合成された化合物が細胞にいかに取りこまれるかを調べるデバイス開発の共同実験に参加したのを契機に、再びバイオエンジニアリングの分野へ。生物学と工学での研究経験を見込まれて、iCeMSから声がかかった。

「亀井さんは学生時代に化学も学んだ経験があるから生物学と化学の言葉が両方分かる。それが僕にとってありがたかったですね。2人ともまだPIではなくジュニアファカルティ(若手教員)としてiCeMSに入ったばかりで、これから新しいことをはじめようというタイミングでした」(同)

 古川さんはNOを貯蔵し、放出できる多孔性材料を作り、亀井さんがその材料から放出されたNOが細胞に取りこまれるようなデバイスを作って、組みあわせる。研究の方向性は決まった。お互いの強みを持ち寄ってもそれがそのまましっくり調和するわけではない。最初は、細胞の中に、NOを貯蔵した多孔性材料を埋めこみ、放出させようとしたが、試行錯誤を繰り返してもうまくいかなかった。

 なかなか光明を見いだせず、古川さんは次第にストレスをためていった。

「『あの頃はすごい性格が悪かった』と当時の僕のグループの仲間に後で言われました」

 しかし、年が明けてまもなく壁を乗り越えるアイデアが生まれる。

「古川さんと話し合いを重ねているうちに、あえて細胞の中にうめこまず、外に多孔性材料を置いてNOを放出させても、細胞膜を通じて細胞内にNOが取り込まれるんじゃないかというアイデアにたどり着いたんです。さらに当時、古川さんの材料は直接水に触れると壊れてしまって具合が悪かったのですが、僕らが普段から使っていたシリコンゴム(ポリジメチルシロキサン)でコーティングすればうまくいきそうだということも分かってきました。そのシリコンゴムは、生体適合性が高く、ガスだけを透過させる性質を持っているんです」(亀井さん)

 2011年4月、ついに実験が成功する。

「僕の研究室はiCeMS本館(吉田キャンパス)、古川さんの研究室は当時、京都駅近くの京都リサーチパーク(大阪ガスグループが運営する研究開発スペース)にあったので、その日、実験のために自分の車に乗って古川さんの研究室に細胞を運びました。NOがちゃんと細胞内に入ってきた時に緑色に光るように、あらかじめ指示薬を導入しておいた細胞です」(同)

 古川さんが作製した多孔性材料にも特別な工夫が凝らされていた。当時の古川グループのStephane Diring助教が化学合成を駆使して、レーザー光の照射のオン・オフで、NOを放出したり、その放出を止めたり、さらに光の強度次第で放出量も変えられるようにしたのだ。これをシリコンゴムで保護してガラス基板にセットし、その上に亀井さんが持ち込んだ細胞を載せる。

実験の模式図:多孔性材料からレーザー光によって放出されたNOが細胞を刺激し、緑色に光る。

「顕微鏡下で、レーザー光を多孔性材料に当てると、見事、細胞が緑色に光った。古川さんと万歳しましたよ」(同)

緑色に光った細胞の顕微鏡写真:緑色に光る文字「NOF」はNitric Oxide Frameworkの略で、一酸化窒素を自由に取り出せる多孔性構造体のこと(スケールバーは100マイクロメートル)。(Nature Communications volume 4, 2684 (2013) Figure 4より。)

 中間評価報告書の提出〆切まで残り数日というギリギリのタイミングでの成功だった。古川さんも「あれは感激だった」とふり返る。

「レーザー光を照射した多孔性材料の近くの細胞の特定の場所が発光し、照射していない多孔性材料の近くの細胞は発光しませんでした。細胞の狙った場所だけにNOを取り込ませることに成功したんです」(古川さん)

 NOは血管の弛緩だけでなく、記憶形成、免疫、代謝など様々な場面で重要な役割を果たしていると考えられているが、未解明の部分も多い。古川さん、亀井さんらの開発した細胞培養チップは、そんなNOの謎に迫る切り札になり得る。

「この成果を発展させて、2013年、2014年、2017年に亀井さんと一緒に論文を出しました。今ではCO(一酸化炭素)やH2S(硫化水素)といったNO以外のガスも生体内で情報伝達を担っていることが明らかになっていますが、我々もCOを使ったデバイスや、将来の医療応用を見据えて、光の他に超音波でもガスの放出量を調節できる材料の開発に取り組んでいるところです」(同)


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